2021/09/14ツィー!ツィー!ツィー!
7月某日、西陽の当たる、フィガロ(介護)ルームの窓の外。
立ち枯れた、背の高い杉の木の枝に、
留まった、小さな燕が、大きな声で、鳴いた。
窓際に、置かれた木製の二段ベッド。
調子を崩した犬君を、看る為に、創って貰った。
今は、金網の上蓋を開け放した、四角いケージの中に、置かれた、ステンレスの丸い水飲み皿の淵に、しがみつく様に留(と)まった、巣だって間もない幼い燕が、目を見開いてジッとしていた。
この部屋で生まれて他の二羽の兄弟達と一緒に巣立って、親の燕達に飛び方を教えてもらっていたのに、突然床の上で飛べなくなっていたので、このケージで、様子を看ていた。
ガラスの扉に気付かず、ぶつかってしまったのだろうか、でもその鳴き声を聞いた途端に、
「ツィーー!ツィーー!ツィーー!」
と、より強い声で鳴いて、羽根をバタバタさせて、飛ぼうとするけど、飛び立てず、ケージの床に敷き詰めた藁の上に、パタッと落ちて伏せたまま、動かなくなった。
親で有ろう小さな燕がまた、「ツィー!」と短く一度鳴くとまた、ケージの中で、「ツィー!」と一度、子で有ろう幼い燕が、叫ぶ様な、より高い声で鳴き、その繰返しが、十回いや二十回位続いただろうか、こんな悲壮感の漂うやり取りを、聞いた事が無かった僕はフッと、五十年以上も前、中学生の時、音楽の専任教師が、音楽室にクラスの皆を移動させ、持ち込んだレコードを試聴させ、その解説をしていた事を思い出した。
シューベルトの作曲した歌曲、「魔王」、詩はゲーテ。
ピアノが「ダダダダダダダッ、ダッ、ダン、 ダダダダダダダッ、ダッ、ダン」と重苦しく始まり、「音楽の様な芸術は人の心を癒すものだ」と思っていた僕は、「ちょっと違う気がする」と感じながらも、スピーカーから流れる歌声を聞いた。
男性歌手がドイツ語で歌う。
教師の解説がはじまる。
嵐の中を急病で苦しみ、魘されている息子を抱き抱え馬に乗って、家路を急ぐ。
「おとうさん魔王が僕を連れて行こうとしている!」
「おお!愛する息子よ!それは柳の枯れ枝が、風に揺れているのだ。
もう暫く辛抱しておくれ!家まで後少しだ!」
「おとうさん魔王がもう其処までやって来ている!」
「息子よ!家に到着したぞ!」
そう叫んだ父親の腕の中で、息子は既に息絶えていた。
そんな内容だったと思う。
僕の薄れ行く遠い、一寸不正確な記憶を蘇らせた。
今此処に居る燕の親子は
「息子よ早くお出で!遠くまで飛んで行かなければならない。練習しよう。皆待っているぞ!」
「おとうさん飛べないんだ!飛ぼうとしてるんだけど飛べないんだ!お父さん!お母さん!お兄ちゃん!お姉ちゃん!」
こんな会話を交わしていたんだろうと思った。
残念ながら3日後この幼い燕君は亡くなってしまいました。
小さな命が大切な何かを教えてくれた様に思いました。
今この幼い燕の魂は、フィガロルームの窓から見える、静かな森の中に、安らかに眠っています。
介護犬班:片山